新宿セブンが面白い8

こちらはKAT-TUN上田竜也さんを応援しているブログです。
初主演ドラマ24「新宿セブン」好評放送中です。ドラマを盛り上げ、上田さんを応援し、KAT-TUNの早期活動につながるよう、ここで「新宿セブン」の感想を不定期にあげてゆきたいと思います。

ロンソンのバンジョー
この物語は原作でも好きなエピソードのひとつ。よくある親子の再会物語なのだが、とてもすっきりと粋にまとめてある。ドラマ版もそこを最大限に活かしていた。
「父親だ」「息子だ」と名乗り合わずとも“傷のついたロンソンのバンジョー”でわかるようになっていた。流しの歌手が母と自分を捨てて出ていった父親であることがわかっても、積年の恨みつらみを口にするわけでもなく、殴りかかることもなく、再会を喜び合い抱き合うわけでもない。「お父さん」とすら呼ばなかった。

そりゃそうだろう。

琢也の葛藤を思えば素直にそう呼べなくて当然だし、どういう風に接すればいいのかわからないだろう。
それでもおそらく彼は出来ることなら生きている間に父親に逢いたかったのだろう。琢也が静かに流した涙がそれを物語っていた。
「おやじ」ではなく「ナベさん」と呼んでいたが(←これが琢也の精一杯なんだよ!これが粋なんだよ!)子供の頃にしてもらった「鼻をつまむ」行為を父親にしたとき「流しの歌手ナベ」の記憶ではなく「父親」としての記憶に変わったと思う。琢也は元々流しの歌手ナベを「尊敬している」(サービストークかもしれないが)のだから、その記憶が「父親」に対するものに変わっても幸福であることに変わりはない。”誰かさん”とは大違いだ。

血の物語
ドラマ版「新宿セブン」は「血の物語」なのだそうだ。血=血筋、血縁といったところか。
たしかにこれまでのエピソードのほとんどが持ち込んだ人と血縁者に深い関係があるものだ。
傷のついたロンソンのバンジョー、テディベア、勤続表彰の時計、父の形見の時計、古ぼけた人形など商品としての価値は低いが当人にとっては価値のあるもの、お金に換えられないものになっている。七瀬にとってのセイクリッドセブンだ。

「環境が変わっても自分が変わったとしても好きだった頃の記憶は変わらねぇだろ」

七瀬が琢也に言った台詞だが、いずれこれは七瀬自身にも返って来る言葉ではないかと思う。
七瀬が追っている「謎の真相」を彼が知ったとき、これまでの記憶がすべて入れ替わるようなことがあっても、彼はこれまで通り生きて行けるのだろうか。そこを乗り越えて生きて行ける男になることが「本物」になるという意味なのかもしれない。

葛藤の表現
七瀬の感情が揺れ動いているとき、照明の明暗(ステンドグラスの明暗)で表現されているのがゾクゾクする。今回もまたそれが印象的だった。七瀬の微妙な表情の変化も毎度釘付けになる。
ところでステンドグラスといえば黄幇会にも見事なステンドグラスがあった。これも何かのヒントだろうか?


8話。私的ベストオブ七瀬
七瀬質店ご一同様。

画像

満面の笑みの健太と華と、まるで首の座っていない赤ちゃんのような七瀬。
あたしゃ、一瞬お七夜の写真かと思ったわよ(←七つながり(笑))

七瀬はカメラを向けられることが苦手なのか、慣れていないのだろう。これまでの人生、誰かと一緒に写真におさまる機会がなかったのだと思う。あえてそれを避けてきたのかもしれない。
1話でのエリカ姐さんの言葉を借りれば七瀬は「この世に存在しない人」だから写真に撮ったとき自分だけが写っていない・・・という怖れがあったのかもしれない(笑)
その七瀬が他人と写真を撮った。健太と華を信頼している証拠だろう。

・・・・・・果たして七瀬が心穏やかに過ごせる日はやってくるのだろうか・・・・・・


9話の予告を観て「えぇぇぇ!?」と叫んだのは私ひとりではないだろう。
残り3回。怒涛の展開になりそうな予感がする。満足度が充分高いのでもう何をやってもらっても構わないと思っている。ドラマ24の「新宿セブン」だからこそ、ここでしかできないことを思いっきりやっていただきたし!

七瀬のアクションについては9,10,11話でも堪能できそうなので、そのときにまた・・・・・・


師走のお忙しい中、お立ち寄りくださったうえ、最後までお読みいただきまして誠にありがとうございます♪