ポリティカル・マザー ザ・コレオグラファーズ・カットを観てきました

2019年4月6日~11日まで渋谷Bunkamuraオーチャードホールにて上演された「ポリティカル・マザー ザ・コレオグラファーズ」を観てきました。

このたびの東京公演ゲストアーティストに私の大好きなKAT-TUN上田竜也さんがSingerとして参加しました。

どんな舞台だった?

と聞かれ、あのステージを説明できた方、いらっしゃいます?ひと言で説明するには様々な要素があり過ぎ、語りたいことは山ほどあるのにそれを表現する言葉が見つからず結局「凄かった!」のひと言だけになってしまいませんか?

私はそうでした。

本公演はダンスカンパニーによるコンテンポラリーダンスの舞台です。ダンスに必要なものは「肉体」と「魂」そして「音楽」。「言葉」はそう必要ありません。鑑賞する方も心が動くのを感じればそれでいいのです。

で・す・が!

我らの上田竜也が世界的ダンスカンパニーの公演に開催国アーティストとして出演し大成功を収め、絶賛されたそのパフォーマンスの記録(記憶)を残さないのはもったいない!そこで「私の言葉」を使ってこの「作品」についてと「作品から私が感じたこと」をここに記しておくことにしました。


舞台機構は三段のひな壇。最上段にバンド(そのセンターにシンガー上田竜也、中村達也さんのドラムとTOKIEさんのベースが上から降って来るという贅沢!)
中段に弦楽器、最も下の段(本来のステージ)にダンサーという配置でした。

上段が支配層(圧を加える側)
中段がそれらを分ける線(弦楽器の調べは世界観の区切りにもなっていた)
下段が群衆(圧を受ける側)ということでしょうか。

こう表記するとバンド=支配層がメインのようですが最も広い面積の舞台を使っていたのはダンサーでした。

ステージは日本の戦国武士をイメージした甲冑を身に付けたアジア系ダンサーの切腹シーンから始まります。この後に流れた弦楽器がまぁ美しいこと!切腹シーンの直後だったのでレクイエムとして受け取りました。
この切腹シーンは開催国である日本を意識して取り入れられた表現なのかと思っていましたが、どうやら元々「POLITICAL MOTHER」の中に組み込まれている演出のようですね。刀を腹部に突き刺し、真横に引いた後のダンサーの表情、動き、かなりリアルでした。
それでも海外の方がイメージする(理解している)「ハラキリ」と私達日本人が知っている(理解している)「切腹」には違いがあるように感じました。「すべてを己の中に閉じ込めるため」切腹する日本人。対してポリマザは「すべてを己の中から吐き出すため」の切腹に見えました。ダンスは「己の中にある感情」を吐き出し、「己の肉体にのせて」表現するものだからかもしれません。


このステージに「舞踊」と「音楽」はあっても「セリフ」はありません

上田竜也さんが開襟スーツ姿のときと軍服姿のときに演説し何かを語っていました。が、その言葉は英語でももちろん日本語でもありません。「ポリティカル語」というものだそうです。チェックのシャツにデニム姿、白いシャツにワークパンツの出で立ちで歌うときもポリティカル語かシャウトでした。上田竜也さんの役どころは「音楽で人々を惑わせ扇動するカリスマ」ということでしたがこれも「わかりやすい言葉」で表現するとこうなるよというものに過ぎません。私が思うに上田竜也さんが演じていた(表現していた)のはダンサーたちの置かれた「世界観の象徴」だったのではないでしょうか?


上田さんが衣装を変えて登場すると世界観も変わっていきます

上田:開襟シャツにスーツ(これがYOHJI YAMAMOTOの衣装なのかな?ネクタイを締めないスタイルにしたのは美しい胸元を見せるため?)のときは言葉を使って治める人物。
世界観(ダンサー) :民主主義的世界、右へ倣え、同調圧力

上田:軍服姿。武力で治める人物 
世界観(ダンサー) :暴力的支配下に置かれた世界、囚人、労働者

上田:チェックシャツ、デニムでシャウトするロックシンガー
世界観(ダンサー) :コンサート会場。熱狂的に応援するヲタ(笑)

上田:白シャツにワークパンツ。身体を艶めかしく揺らし、甘く歌いながら服を脱ぐディーヴァ、巫女、美神
世界観(ダンサー) :宗教、美しい神に魅せられる信者たち

上田:開襟シャツにスーツ、途中で上着を脱ぎ、性的行為を彷彿とさせるアクション。精神的支配者 
世界観(ダンサー) :性の解放、性による支配、精神的苦痛を受けたものの心の中。

上田:白シャツにワークパンツ。声を枯らしながら激しく歌う。マイクスタンドを振りまわし破壊行動に出る。孤独なカリスマ 
世界観(ダンサー) :現代。笛吹けども踊らず。カリスマを必要としない「個」の世界。

途中、何度か上田さんがゴリラの被り物をして演説、歌うこともありました。獣、けだものを意味するのか?あるいは偽者のカリスマを表現しているのか?SNS的な匿名性を表現しているのか?ここはまだ解釈できていません。謎です。


上田さんは唐突に現れ、唐突に消えます
エンディングシーンもダンサーたちは演じた世界観を逆再生し、オープニングの切腹シーンに戻りますが、その逆再生シーンに上田さんの姿は一切ありません。上田さん演じる支配者は実は目的・行き先を求めた群衆たちが望み、作り上げたものだったからではないかと思いました。上田竜也の演じた者もまた上(天?)からの音に圧をかけられ、下からの突き上げで支配者にならざるを得なかった人のようにも思えます。

一緒に観劇した友人とそのイメージが一致したのが「天草四郎」。生まれながらにしてカリスマ性を持ち、人気者であったがゆえ、戦(島原の乱)の首謀者たちに利用され、一揆軍の戦意高揚のために総大将として祭り上げられてしまった少年です。ね?どこか通じるものがあると思いません?
だからねぇ、上田さんが世界を破壊し始めたときはねぇ・・・・・・泣きましたよ・・・

Both Sides Now
パンフレットに載っていた言葉です。ラストシーンで流れていた曲かな?「青春の光と影」の原題だそうです。

「“今”の両側」
光   今の自分 影。
過去 今の自分 未来。
現実 今の自分 理想。
世界の中心は自分にあるということですかね。(自己中心的という意味ではなく)


さて小難しい話はここまでにして・・・‥‥この後は上田語りを(笑)
この公演に上田竜也さんが抜擢されたと聞いたとき「ダンスパフォーマンス」を認められたのではないな。と思いました。みんなもそうでしょ?(笑)でも海外の方の眼に留まったということは不思議でもなんでもなく「Oh!見つかっちゃったか!ま、当然だよね!」と別段驚くことではありませんでした。

上田竜也は立っているだけで物語る男ですから

この世で最も自分の身体の使い方を知っているのはダンサーだといいます。もしダンサーが格闘技を身に付けたら勝てるものはいないとも。鍛えた肉体、柔軟性、相手との呼吸などもダンサーにとっては必要不可欠ですものね。そんな強くて美しいダンサーたちを舞台の上で従える役柄ですから、ダンサー以上(もしくは同等の)強く美しい肉体と崇高な魂を持った人物でなければ説得力がありません。今回はセリフもないので、それらの魅力を持ち合わせた人物であることを一瞬でわからせなければいけません。登場しただけでその佇まいだけでそれを感じさせるだけのフォルム、ビジュアル、ボイスがなくては成り立ちません。

彫刻のような肉体、絵画のような美貌、ストイック、これらすべて上田竜也の代名詞です。
そりゃあなた、白羽の矢が立つってもんですわ!

世界観の象徴、群衆のアイドル(偶像)としてのビジュアルは完璧でした。ではパフォーマンスはどうだったかというと・・・・・・さすが現役アイドル!ポテンシャル高い!

上演中にマイクトラブルがあり上田さんの歌声が全く入らなかったことがありました。そのときもまったく慌てず、マイクスタンドを振り回しセットを破壊し、さもそれが演出のひとつのように見せていました。実はこのときの公演、私が観た最初の公演だったのですが、私はそのマイクトラブルに全く気付きませんでした。むしろその破壊行動にカリスマの孤独を感じ、胸が痛くなるほどでした。なんという瞬発力、Show must go on魂!
惚れますよね(笑)

スーツ、軍服、デニム、白シャツ・・・と様々なスタイルで登場した上田さんですが今でも私の脳裡に焼き付いて離れないのが白シャツにワークパンツの美神です。しなやかな身体、甘い歌声、恍惚の表情・・・・・・目も耳も心も奪われ、ただただその姿を拝んでおりました。心を奪われれるということは怖いことのはずなのに恐れるどころか喜びすら感じていました。あぶないあぶない。支配されてしまう(笑)


長々と書いてきました。みなさまもお疲れだと思いますのでそろそろまとめに入りましょう。

WHERE THERE IS PRESSURE THRE IS FOLKDANCE
上演中に提示された文字です。「圧力があるところに民族舞踊がある」と解釈しました。
何らかの圧力がかかる。
言葉に出せないことが増え、抑えている感情が溜まってゆく。
そのはけ口として人々は踊るのだ。

「POLITICAL MOTHER」→政治の母→政治の命の源→ 人。
国、歴史、時代を動かすのは「人」のパワーである。そう感じました。


海外のダンスカンパニーの公演という未体験の世界に触れることができたのもそこに上田竜也さんがいたからです。私が動いたのは上田竜也という人のパワーによるものです。

私の「POLITICAL MOTHER」は上田竜也だということをあらためて強く感じました。

とりとめのない話に最後までお付き合いくださいまして誠にありがとうございました。